【尾山神社】

 
《主祭神》贈従一位大納言菅原朝臣前田利家
《例 祭》四月二十七日
《由 緒》慶長四年前田利家公薨後、英霊奉祀の企ありしも憚る所あり。越中国射水郡守山海老坂烏帽子峰鎮座の八幡大神を遷座すると提言し、公の英霊を卯辰山麓に祀り卯辰八幡社と称す。
明治維新後、藩士及加越能三州の人士相計り明治五年出願。翌六年許可と同時に尾山神社と改称し郷社に列格、同年現今の社地に遷座。翌七年県社に昇格。明治十年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輩に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治三十五年別格官幣社に昇格。尚、重文神門は明治八年和漢洋混用の特殊の建築物として異彩を放つ。神苑。金沢市指定文化財。泉水築山を設け、池泉廻遊の様式にて、楽器に型どり、写実的表現の妙をつくしている。重文。朱塗雲龍文蒔絵大小、桃山時代の作風を示している。
(「石川県神社誌」石川県神社庁より)
 




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