石川県にちなんだ能の名所

「安宅」(あたか)=宝生流・現曲

 場所 石川県小松市


平家滅亡の後、源義経は兄頼朝の疑をうけ、弁慶以下主従十二人の偽山伏となって都を落ち、北国路を通り、奥州へ下って行く......
義経一行は漸く加賀国安宅に着く。この新関は、富樫の左衛門が守っている。
関の固めが余りに厳しいので、弁慶は義経を強力の姿にして南都東大寺の勧進山伏と偽り、或いは勤行で恐れさせ、或いは勧進帳の空文を読み、また強力が咎められると、金剛杖をとって義経を打って通す......
[宝生流謡曲本「安宅」(わんや書店)より]


「歌占」(うたうら)=宝生流・現曲

 場所 石川県石川郡白山の麓


伊勢の国二見が浦の神職渡會の某は、神に御暇を告げず廻国に出かけた......
渡會の子幸菊丸は父の行衛を尋ねて、国々を巡歴していたが、加賀国白山の麓に来た時、たまたま、何處の者とも知らぬ男神子がきて、歌占を上手に引くというので、訪ねて歌占を引いた。不思議にも、その男神子こそ幸菊丸の父であった......
[宝生流謡曲本「歌占」(わんや書店)より]


「実盛」(さねもり)=宝生流・現曲

 場所 石川県加賀市篠原町


ある僧が念仏説法をしていると、不思議にも、他の聴衆には見えず、唯僧だけ見ることの出来る老人が、毎日熱心に聴聞に来るのである。
僧は怪しんで、その名を尋ねると、あたりの人々を遠ざけて貰って、昔、斎藤別当実盛が此の処で討死した時、この説法の場の前にある池水で、その髪髭を洗われたのであるが、その執心が残っているのか今もこの辺の人に幻のように見えるという。まことは自分は実盛の幽霊であると明して、そのまま池のほとりで消えうせて了った......
[宝生流謡曲本「実盛」(わんや書店)より]


「仏原」(ほとけがはら)=宝生流・廃曲

 場所 石川県小松市


都方から立山禅定のため北陸路を下った僧たち一行は、加賀国仏原までやってきた。今日も暮れようとして、とある草堂に宿ろうとしたとき、一人の女が現れた。今日はこの国から出た白拍子仏御前の命日ゆえ、読経してほしいといい、女は僧の請うままに仏御前のことを語った......
[「能狂言事典」(平凡社)より]


「鵜祭」(うのまつり)=金春流・現曲

 場所 石川県羽咋市気多大社


能登国気多明神の霜月初牛の神事参拝のため、勅使が下向する。にわかに雪が降り、松原に休むところへ数人の海人乙女が現れ、荒鵜をとり贄に供する鵜祭の神事、同社の到景とその縁起を語り、社殿に消える......
[「能狂言事典」(平凡社)より]


「木曾」(きそ)=観世流・現曲

 場所 石川県〜富山県境倶利迦羅山


木曾義仲は、五万余騎で平家の十万余騎と相対峙していたが、倶利迦羅谷で一挙に敵を破ろうと思い、精鋭一万余騎を従えて埴生に陣を取った。然るに、その陣所の北に八幡宮があり、陣所もその領内であるといふ事が判ったので、これは吉兆であると大に喜び、覚明に祈祷の願書を書かせる....
[観世流謡曲本「木曾」(檜書店)より]